車で目的地に向かえば、確かに早く着けます。しかし、同じ道を歩いてみると、ふと目に入ったゴミを拾ったり、すれ違う人と挨拶を交わしたり、予定外の出来事に出会うことがあります。これらは一見「無駄」と思われがちですが、こうした小さな体験を通して、自分の存在が外界に何らかの形で残る感覚を得ることができます。それが、日々の暮らしに彩りを与え、孤独感を和らげ、私たちが「生きている」と感じる瞬間ではないでしょうか。
一方で、車による効率的な移動は、私たちからこのような経験を奪い、便利さの陰で大切な何かを失っているようにも思えます。
さらに進む便利さと効率化の波は、デジタルトランスフォーメーション(DX)の形で、今後も私たちの生活を大きく変えていくでしょう。確かに、AIやコンピュータは膨大なデータを瞬時に処理できる力を持っています。しかし、こうした技術が進化する一方で、人間の仕事や役割が奪われていく現状にも危惧を抱かざるを得ません。仕事は単なる生計手段ではなく、自分がこの世界で果たす役割や存在価値を感じる大切な要素です。
便利さと効率化が進むことで、人間の仕事がAIに取って代わられたとき、私たちは本当に幸せなのでしょうか。今一度、「効率」を追い求めることが本当に必要かどうか、立ち止まって考える時期に来ているのかもしれません。現状の便利さを超える何かを、本当に望んでいるのか。私は、この問いに対する答えを見つけるため、疑問を抱き続けています。
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